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熱痙攣?ひきつけ?(子供が死ぬかと思った瞬間・・・)

【自宅で】
丁度、1週間前になるが、子供が「ひきつけ」というのか、「熱痙攣」というのか、意識を失って救急車で運ばれた。


その日は、早起きして朝(というより夜中?)から仕事を始めた。
子供が前日から高熱を出して居ただけでなく、仕事のことで考えることや、納期の迫った仕事が溜まっており、何となく落ち着かない日であった。
http://www.mebuki.com/archives/2007/03/post_116.html


AM6:40頃に自宅へ戻り、AM7:15ころまで高熱を出していた息子の傍で朝食をとっていた。
食事を終えて、出社時刻のAM7:45まで「少し仮眠をとろうかなぁ・・・・」と思った瞬間、40度近い熱を出していた下の息子(4歳の長男)が、急に布団から上半身を持ち上げ「き~っ」と奇声を上げた。
ふと、娘を見ると下の息子の顔がよっぽどおかしな顔だったのだろう・・・ゲラゲラ笑っている。


また、いつもの「ふざけ」だと思っていた私は、妻の蒼白になる顔色を見て「ふざけ」では無いことに気がついた。
「まさくーん・・・・キャーッ・・・あーっ・・・」
妻の強い嘆きの声、


「き~っ」と奇声をあげ、目は1点を見つめ、息子の瞳孔が開き始めた。
次の瞬間、目は上まぶたに隠れてしまうほど白目がむき出しになり、口から「よだれ」と「あわ」を吹き出しながら、歯がギシギシいうほど強くかみ締めている。


もちろん、呼吸は出来ていない。
歯を強く噛締めている為か、息が出来ずに、白目をむき出してブルブル震えている。

妻は、相変わらず、息子に向かって叫んでいる。
「まさくん死なないで・・・・」

呼吸が出来ず30秒くらいたったのだろうか、パニック状態に陥った妻は、息をさせようとしたのだろう、一瞬開いた口に手を入れた。
「いたぃ!!」


一瞬開いた口に手を入れた次の瞬間、またもや歯を強く噛締めたのだ。

(後で聞いたのだが、妻は指が食いちぎられても良いと思ったとのこと。おそるべし・・・。)

医療関係のWebサイト構築をしていることが功を奏したのか、私は、医療関係のテレビは良く見ている。
その為、「熱痙攣」や「てんかん」においては、そういう事態が発生したとき、口に手を入れてはならない。
なぜなら、指などが食いちぎられる事故が発生するから・・・・
というような、番組をやっていたことを思い出し、

一言・・・・
「口に手を入れちゃ駄目!!」
(それだけ)


こういうとき、本当に男は何も出来ない。
頭の中は、「熱痙攣」の健康番組のことで一杯で、「確か2、3分もすれば、収まるといっていたような・・・・」
くらいの思考能力しかない。


「どうしよう、どうしよう・・・・」

頭の中は、「どうしよう」で一杯。

2、3分そんな状態が続いただろうか、息子は、今まで硬直させてた身体の筋力を「ガクっ」と緩め、気を失った。


「あれ?死んじゃった?」
私の頭では、
「ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ・・・・・・」
のパニック状態。


子供の笑顔が走馬灯のようによぎる。

「あーっ・・・」っと私。

妻は妻で、「イヤーっ・・・・!!」
と相変わらず叫んでいる。


そんな状況を頭の中で判断した、コンマ1秒後、
「ひっひっ!!」
と息を吸っているではないか?

「あーっ生きている!!」
「人工呼吸しなくっちゃ!!」
ということで、口に息を1回だけ送り込む。
(今考えてみれば、「ひっひっ!!」って息を吸っているのだから、無理に息を吹き込まなくても良かったのかも・・・)

妻は妻で、我にかえったのか、119に電話
「もしもし・・・(の後は私自身もパニックで何を喋っているのか耳に入らない)」

3、4分後だろうか、遠くから「ピーポーピーポー」の音が。
「グタッ」としている息子を妻に任せ、救急車の誘導に。
(これも、よく考えてみれば、誘導の必要は無いかも。)

降りてきてくださった救急隊員は、
「どうしました?」
の一言から、私が
「昨日から42度の高熱を出していまして(かくかくしかじか)・・・」
と説明をした。


ふと、救急車をタクシー代わりにつかう輩がいるとニュースでやっていたことを思い出し、
「あのー、今、容態は落ち着いて居るので、車で連れて行った方が良いでしょうか・・・?」
と、またもや私の意味不明な質問。(だったら、呼ぶんじゃない!!)


救急隊員の方は、そんな私に、
「はじめての熱痙攣なら、用心して救急車で行った方が良いですよ」
と言って下さった。
(本当にありがたい

妻が、息子を抱きかかえて、救急車に乗り込んだが、顔面蒼白。
救急隊員も、妻に聞いては無理なのかと、助手席から救急車の外で、娘とたたずんでいた私に、
「ご主人、お子さんの生年月日は・・・?」

「えっ?えーっと・・・」
(私は、パニック状態で無くても、息子の生年月日を覚えていない。)


「えーっと・・・・8月・・・8が・・・つうー・・・。」(やばっ!!)
「いっ、今4歳です!!」
(年を聞いているのではない。(ーー;))


駄目と思ったのか、横から娘が
「8月◎日!!」
(◎は、1週間たった今も覚えていない証拠・・・(__))


「何年生まれ?」
と救急隊員の方は娘に問いただす。


さすがに、何年までかは答えられなかった娘。
この緊急事態に、
私、娘、救急隊員の方3人で、指を折りながら、
「2006年、2005年、2004年・・・・」
(2006年は入れていいのか?)

私、途中、間違って、「2004年!!です?」
救急隊員「えっ?」
(やりなおし・・・)


また、また、3人で、
「2006年、2005年、2004年・・・・」


そんなこんなで、何とか、近くの順天堂病院練馬に運んでもらえることになった。
(ちなみに、救急車はなぜか2台。1回しか電話していないにも関わらず、2台寄こしてくださったのは、どちらか早いほうを・・・とセンターの方が配慮してくださったものと思う。本当に、ありがたく、心から感謝すると共に、心強く思っています。救急隊員の方ありがとうございました。)


(次号に続く・・・予定)

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