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2008年11月26日

LAWSON STORE 100

本当にどうでもよいことだが、今日は縁起が良かった!

ジョナサンから会社に荷物を置こうと、朝6:40頃に会社に寄ったところ、LAWSON STORE 100という100円均一のコンビニエンスストアーが、本日(26日)AM7:00にオープンとあるではないか!


コンビニの新規オープンに並ぶことは一生無いと思ったので、この機会にオープンに並んでみた。
10人くらいの客が並んでいただろうか。
(コンビニのオープンに並ぶ客が結構いることに驚いた。)

本当は、縁起が良いので、1番の客として入りたかったのだが、残念ながら10番手くらい。


AM6:55頃に「いらっしゃいませー!!どうぞお入りください」
の掛け声と一緒に
「ズカズカズカ・・・・」


別に買いたいものがあったわけではなく、とりあえず、コンビニのオープンを経験したかっただけなのだが、何も買わずに帰るのも何だったので、卵サラダサンドのサンドウィッチとグリーンサラダを2つずつ持ってレジへ。


なんと、レジに入ったのは1番手!!!
ちょうど、横にあったサツマイモの蒸かしも一緒に買って525円。

「500円以上お買い上げのお客様には、エコバック差し上げています~」
とのこと。
そして、530円を出して、“5円(ご縁)”のおつり。

receipt20081126.jpg

らっきー!縁起が良い。
(^-^)

とてもうれしくなって、自宅に帰ったところ、家内から
「今日はあなたの運勢1番だったわよ~」
とのこと。


重ねに重ねて縁起が良い
(●^o^●)

まー、それだけの話。
(仕事しろよー)
(--〆)

今年一年間を振り返って・・・倒産

今日もいつものごとく、ファミレスで仕事。
昨日はガストだったので、今日は鷺宮のジョナサンへ。

この辺りは通っていた高校もあり、なんとなく落ち着く。

鷺宮のジョナサンは、もうクリスマスモード全開で、大きなクリスマスツリーが飾ってある。


今週中に仕上げると約束した社内向けの仕事があるため、さっさと仕事をしなければいけないのだが、ふと、今年一年を振り返ってしまった。

我々の世界はドッグイヤーといって、普通の世界の1年が、ITの世界では7年経つのと同じと言われている。
(嫌な世界にいるなぁーと思うこともあるが、人の7倍生きられると思えば結構いい世界なのかも・・・。その代わり、結構早死にしたりして・・・・。)

だから、毎年それなりに色々なことがあるのだが、今年は特に色々あった。

キーワードは「倒産」
このキーワードに関するエピソードが2つあった・・・・。


1つは、弊社のクライアントで、10年以上ご指導頂いていた弊社のクライアントの会社が今月、倒産したこと。
パソコンのサポート事業を開始して間もない頃からのお付き合いなので、かれこれ13年になるか・・・。

私がまだ、駆け出しのころからのお付き合いで、私はじめスタッフ一同、よくご指導(というかお叱り)を頂いた。

正直、サービスを提供する側からすれば、
「そんなむちゃくちゃな!」と思うこともあったが、

サービスを受けるお客様の立場にたってみれば、
確かに、「筋も通っている・・・・」

「立場の違いによって、考え方や見え方が違う」
そんなことを教えてくださったお客様。


倒産のことが新聞やテレビに載る前に、いち早くお電話を頂戴していたのだが、私の都合で3日ほどお会いするのが遅れてしまい、お会いできたのは、報道の後であった。

うちの会社としては結構な焦げ付きが生じてしまったが、筋を通して下さったことと、13年余りに及ぶお付き合いを考えれば、致し方ない出来事。

2つ目のエピソードについては、エントリーしていると仕事が出来ないので、またの機会にするが、ともかく、そんなことを思い出していた。


振り返るには、少し時期が早いかもしれないが、今年は私的にも、世間的にも、激動であったことは言うまでもない。
それだけ、情報化により、社会が早く進み、2極化が益々進む。

良くも悪くもこの構造は当分変わりそうにない。

2つ目のエピソードを割愛してしまったので、意味不明かもしれないが、そのような不確定要素が大きい社会では、実力をつけるしかない。

歯科医師、はじめ、医師であれば、たとえ倒産したとしても、復活は出来る。


それは、歯科医師、または、医師としての資格とスキルを持っているからであり、それらは彼ら自身が身を削って得たものかもしれない。

同様に我々も、万が一、倒産、または、社会に放り出されたとしても、誰かの責任にすることなく、資格とスキルで生き残っていけるように自分を磨かなければならないように思う。


私は!・・・といえば、最近、少しだけ自信を持てるようになった。
(^.^)/~~~
資格こそないが、もし、今倒産して、社会に放り出されたとしても、今の自分の「スキル」があれば、何とか生きていけるのではないかと・・・・・


もちろん、今の立場や周りに支えてくれる優秀なスタッフ陣が居るからこそ!!かもしれないが。
(いや、間違いなくそうである。)


2008年11月25日

この2日間の連休中、風邪だったのか、泥のように眠り続けた。

おかげさまで、元気回復

明日に備えて、映画でも見ながら布団に入ろうか・・・との誘惑もあったが、仕事も詰まっているので、いつものように夜中に出社。

年末に備えて、机の中身を整理(というかほとんどが廃棄)しながらメールをチェック。
夜半過ぎには、メールもさばいたので、帰ろうかとも思ったが、社内システムで目を通さなければならない資料と考察事項があり、いつも通りファミレスへ。

いつもは、ジョナサンだが、今日は気分を変えてガスト。

そんなおり、ipodから竹内まりや氏の曲が。

面白いもので、彼女の曲を聴きながらなら、どんなにうるさいところでも集中できる。
浪人時代、よく彼女の曲を聴きながら、ファミレスで勉強したことを思い出した。


昔と今、変わったという自意識は何一つ無いし、いまだに浪人時代と同様、ファミレスで何かをしている・・・。

ただ、ひとつ大きく変わったことは、家族が出来たこと。


一昨日は、子供の水泳の運動会に出なかったが、もう少し家族との時間を大切にしなければならないと、ふと思う一瞬であった。

2008年11月13日

聴覚障害者に運転免許 法改正で夢かなう

Yahooニュースで、「聴覚障害者に運転免許 法改正で夢かなう」という記事を見つけた。(最下段に、Yahooニュース(2008/11/12)を引用させていただいた。)


実は私自身も学生のころ、自動車教習所(非公認の自動車練習所と言った方が良いかもしれない)で指導員のアルバイトをしていた。


その当時、私の原点であるユニットバスの施工工事の仕事を少し離れて、独立を考えていた時期。

朝はチラシ配りをして、昼は教習所のアルバイト、夜は家庭教師や塾の講師・・・と今考えてみれば、いつ寝ていたのか?と思うほど働いていたが、充実した毎日だった。


ただ、まわりが就職活動を始め、自分も将来を考えなければならない時期でもあり、自分がどんな将来に身を投じるか?ということを真剣に考えた時期でもある。


その一つの選択肢が、教習所の指導員。


自分が好きな車の運転を人に教えて、お金がもらえる。
それでいて、指導員というのは、「先生!先生!」と呼ばれて、偉そうにもできる。
そして、何より、1時間とか2時間という時間を車中で2人きりで過ごすことが多いので、恋愛にも発展する(ことが多いと聞いている)。
(ちなみに、良いことばかりではない。真夏の超暑い時期、本当に風呂に入っていないんだろうなぁ…なんて思う人間が教習生としてやってくる。運転する本人は、いつも以上に緊張して汗をかく。 失礼な話、本当にξ(クサイ)ので、さりげなく助手席の窓を開けるのだが、冷房が効かなくなり、余計に汗をかいて、魔のスパイラルに入ってしまう。そういう人にでもしっかりと教習はしなければならないので、そいう言う意味では結構大変な仕事)


そんなわけだから、低次元レベルの考えとして、仕事としても楽しい。
だから、快楽的に考えれば、一生をささげる仕事としても面白そうなのだが、さすがにそれではいけないと思い、私は別の道を選んだ。

そんなことを思い出しながら、Yahooニュース「聴覚障害者に運転免許 法改正で夢かなう」を読んだ。
この指導員には、ご両親のことがあって、何とか視聴覚障害者の方に自動車の運転免許を取らせたいと思ったのであろう。
そして多分この指導員は、自分の仕事に誇りを持つことが出来るだろうとも感じた。
(私が指導員を志望しようと考えたような低次元レベルの考えとは違う。)

現在も、当時の指導員仲間とも会うのだが、中には「志」などが全くない人間もいる。
結局は、自分の仕事をどのようなスタンスで取り組むのか?

これによって、どんな仕事でも、志を高く持つことも出来れば、低くなってしまうことにもなる。
結構しんどいこともあるが、常に「志」は高く持っていたいものである。

↓↓↓↓↓↓↓↓(Yahooニュース(2008/11/12)を引用させていただいた。)↓↓↓↓↓↓↓↓
聴覚障害者に運転免許 法改正で夢かなう
11月12日16時23分配信 産経新聞


 ■取得男性「趣味の釣りで遠出を」/指導員「母のような思いさせぬ」

 聴覚障害者の運転条件を緩和した改正道交法(6月施行)を受け、耳が全く聞こえない男性が「長年の夢だった」という車の免許を取得した。大阪市東住吉区の青木義信さん(65)は、教習所では途中でくじけそうになりながらも、聴覚障害者の両親を持つ指導員、島田真知さん(24)の励ましで乗り越え、念願の免許証を手に入れた。新車の軽乗用車も購入し、「大好きな釣りをしに遠出したい」と胸を膨らませている。

 9月1日、大阪市浪速区浪速西の芦原自動車教習所に、手話で合格を報告する青木さんの姿があった。

 〈合格しました。ありがとうございました〉

 島田さんは「本当に良かった」と自分のことのように喜んだ。道交法改正で免許が取得できるようになった重度の聴覚障害者として、大阪府内で初の快挙だった。

 合格までの道のりは、まさに二人三脚。青木さんが免許を取りたいと思ったのは約20年前、趣味の釣りに出掛けるのに不便だったからだ。〈車を運転できれば終電を気にせず四国や日本海まで遠出できる。クーラーボックスとか荷物の重さも気にならないでしょう〉

 重度の聴覚障害者に6月、ワイドミラーの装着などを条件に運転免許の取得が認められた。青木さんは手話ができる指導員がいる教習所を探し、島田さんに出会った。

 島田さんの両親は聴覚障害者。原付免許を取ろうとした母が、教習所で障害を理由にあきらめるよう言われ、泣きはらした目で帰ってきた様子を見て指導員を志した。青木さんに出会い、「母のような思いは絶対にさせない」と誓った。

 島田さんは6月末から約2カ月間の教習で、救急車のサイレンが聞き取れない青木さんに、「目で周りの車の流れの変化を読み取って」などと熱心に指導。青木さんは〈耳が聞こえないので不安だったが、失敗しても、島田さんが『大丈夫大丈夫、ちょっとずつやってみ』と励ましてくれるので頑張れた〉と振り返る。

 晴れて免許を手にした青木さんだが、実際に路上に出て感じるのは全般的な運転マナーの悪さ。〈スピード違反も割り込みもみんなが普通にやっている。正直驚いた〉

 島田さんは「聴覚障害を持つドライバーは今後増えると思うので、健常者は周りと協調した運転を心がけてほしい」と訴えている。