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二十一世紀に生きる君たちへ  司馬遼太郎 著

楽しみにしていた本が届いた。

二十一世紀に生きる君たちへ 司馬遼太郎 著 である。
小さな出版社が司馬遼太郎氏(1923年8月7日-1996年2月12日)に依頼し、1989年に小学校5、6年生の国語教科書のために書き下ろされた作品(5年生、6年生に各1作品の合計2作品のみ)。
当初は教科書出版社の知名度が低く、学校には採用されなかったとのこと。

しかし、東京郊外の小学校の先生が、補助教材として利用したことから、少しずつ話題になり教科書として広く利用されるようになったとのことである。

本には、

・二十一世紀に生きる
          君たちへ
・洪庵のたいまつ

という2作品が収められている


「二十一世紀に生きる君たちへ」の方は、ネット上に公開されているが、是非ともご購読頂きたい。
http://www.geocities.jp/studiowaltz/21you.html
アドレスを掲載したのは、読んで頂くことで、必ずや本をご購入頂けると信じているからである。


院長先生方には、是非とも待合室に置いて頂きたい!!
↑切なる要望 _(._.)_

私が感動した文章を引用させて頂いた。

~~二十一世紀に生きる君たちへ から 以下引用~~
さて、君たち自身のことである。
君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
-自分に厳しく、相手にはやさしく。
という自己を。
そして、すなおでかしこい自己を。
二十一世紀においては、特にそのことが重要である。
二十一世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術が、洪水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。

(中略)

助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。
やさしさと言いかえてもいい。
「いたわり」「他人の痛みを感じること」「やさしさ」みな似たような言葉である。
この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。
その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。
この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。
君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるのにちがいない。
~~引用終わり(二十一世紀に生きる君たちへ)~~


 


~~洪庵のたいまつ から 以下引用~~
洪庵は、自分自身と弟子たちへのいましめとして、12か条よりなる訓かいを書いた。その第一条の意味は、次のようで、まことにきびしい。

 医者がこの世で生活しているのは、人のためであって自分のためではない。決して有名になろうと思うな。また利益を追おうとするな。ただただ自分をすてよ。そして人を救うことだけを考えよ。

~~引用終わり(洪庵のたいまつ)~~

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